その七回忌に当たる8月21日、亡くなる3ヶ月前に公の場で話す最後の機会となった憲法集会での「伝説の演説」が東京都内で上演された。 「三つのことを申し上げたい」と言いながら、二つしか話さなかったむのさん。 最後の一つは何だったのか。晩年を共にした次男、武野大策さんが語った。 「憲法を考える映画の会」の花咲哲さんと武野大策さんが話し合い、戦争をしない世の中にするために何ができるかを、むのさんの生前の訴えを元に語り合う会を作ろうとしており、むのさんの七回忌に準備会のイベントを開いた。 この日は、反戦を訴え続けるむのさんの姿を追ったドキュメンタリーと、最後の演説となった憲法集会での反戦アピールの映像が上演された。 戦争中、むのさんは朝日新聞の従軍記者として国内外で取材し、十分な医療を受けさせられないまま3歳だった長女のゆかりさんを病気で失った経験がある。1945年8月15日の終戦の日、新聞記者として戦争の真実を十分に伝えられなかった責任を感じて、辞表を提出した。30歳のことだ。 亡くなる3ヶ月前に開かれた憲法集会では、車いすを大策さんに押され登場したむのさんは、「歳をとった人間としてより若い人のために三つのことを申し上げたい」と語り出す。 一つ目は、戦争がいかに人間性を失わせるかということ。二つ目は一度始めたら止められない戦争を抑止する憲法9条の大切さだ。 ところが三つ目は語らないまま、「戦争を殺さなければ現代の人類は死ぬしかくはない。その覚悟をもってとことん頑張りましょう」と呼びかけて演説を終えた。

「三つ目に父が言いたかったことは…」

このビデオを上演し終えた後に、晩年を共に過ごした次男、武野大策さんが父について語った。 そして、むのさんが三つ話すと言いながら、二つしか語らなかったことについて、集会の数日前に準備していた三つ目の言葉を明かした。 「父は『黙祷はダメだよ。声をあげて戦争はダメだ!と口に出して言わないと。黙祷していたのでは誰も気がつかない』と言っていました。たぶん、それが三つ目に言いたかったんじゃないかと思うのです」 そして、参加者にこう呼びかけた。 「自分達の思いを語り合うことがとても大切だと思うのです。戦争をやめさせる、第三次世界大戦をやめさせるためには、黙祷して祈っているだけではダメで、戦争はイヤだ!と私たちが言うことが大切だと思うのです」

「それぞれが一生懸命考えることからしか始まらない」

続くシンポジウムに登壇したむのさんと親交のあったジャーナリスト、佐高信さんは、憲法集会でのむのさんの発言を聞きながら「痛々しい」と感じたという。 「そのことを忘れて、『むのさん立派だ』と言うだけではダメなんだろうと、むのさんを知っているだけに私はつくづく思いました」 そして、会場から「戦争を止めるために個人で具体的にできることは何でしょうか?」と質問が出ると、こう答えた。 「具体的に何をやるかはそれぞれが考えないとダメですよ。(人に聞くのは)何かを預けるという話でしょう?それぞれが一生懸命考えることからしか始まらない」

10月10日に平和塾を設立、1回目を開催

大策さんらは、改憲の動きが強まり、ロシアのウクライナ侵攻など世界の平和が揺るがされている状況に、市民として何ができるか考えようと「むのたけじ平和塾」を10月10日に設立する。 第1回の会合は文京区民センターで午後1時半から開かれ、映画『笑う101歳×2 笹本常子 むのたけじ』を上演後、反戦について語り合う。 問い合わせは、メール(dmuno@jcom.home.ne.jp)

むのたけじさん憲法集会での演説全文

むのさんの憲法集会での演説全文はこちら。 今日の集まりは戦争を絶滅させる目的を実現できる、その力を作る集会です。 でもこの会場にお集まりの方々の中で満70歳より若い方々は、戦争がどういうものかを国内で体験する機会をもちませんでした。 私はジャーナリストとして、戦争を国内でも海の外でも経験しました。そういう歳取った人間として、より若い方々のために短い時間ですが三つのことを申し上げたいと思います。 まず戦争とは何か。 それは常識では考えられない狂いですね。 私どもは従軍記者として出かけたから、武器を一つも持っていません。それでも両軍の行動している場所で取材活動をやれば、兵隊と全く同じ心境になります。 それは何か? 相手を殺さなければこちらが死んでしまう。死にたくなければ相手を殺せ。 戦場の第一線に立てば、もう神経が狂い始めます。これに耐え得るのはせいぜい三日ぐらいですね。あとはもうどうとでもなれ、本能に導かれるようにして道徳観が崩れます。 だからどこの場所でも戦争があると女性に乱暴したり、ものを盗んだり、証拠を消すために火をつけたりする。 これが戦場で戦う兵士の姿です。その兵士を指導する軍のお偉方は何を考えるか? どこの軍隊も同じです。敵の国民をできるだけたくさん、できるだけ早く殺せ、そのために部下を働かせろ、すると勝てるね。 これが戦争の実態です。 こういう戦争によって社会の正義が実現できるでしょうか? 人間の幸福が実現できるでしょうか?できるわけはありません。 だからこそ戦争は決して許されない。それを私たち古い世代は許してしまいました。しかも戦争の進み方は誠に恥ずかしい姿でした。 日清戦争以来、10年ごとに戦争を続け、昭和6年の満州事変から十五年戦争をやって、結局ナチスドイツと同様、ファシズムの日本とは一緒くたにされて近現代史に例のない無条件降伏、条件なしの敗北で戦争を終わらせました。 これはなぜなのか、二番目に申したいと思います。 戦争を始めてしまったら止めようがないということを力説したいのです。明治憲法と言われた大日本憲法(大日本帝国憲法)は最も古めかしい君主制度の下で、我々国民は憲法の中で国民とも人民とも言われず、臣民、家来でした。 戦争が始まってしまって、もし国家の方針に反対することを言ったり書いたりすれば、治安維持法で無期懲役ないし死刑が決まっていた、そういう状況だったんです。 だからこそどういうことになったのか、二番目の私が言いたいことは、本当に無様な戦争をやって、無様な尻拭いをして、そして残ったのは何か? 憲法9条です。 憲法9条は二つの顔を持っています。 マッカーサー司令部の方から見れば、ナチスドイツとファッショの日本は国家としては認めない。だから交戦権は認めない。戦争はやらせない。軍隊は持たせない。本当に泣いても悔いても足りないほどの屈辱だったはずなのに、古い私たち日本人はそれを感じ取りませんでした。 そして何か? 私もその一人ですが、この憲法9条こそは人類に希望をもたらす、そういう受け止め方をした。 そして70年間、国民の誰をも戦死させず、他国民の誰をも戦死させなかった。これが古い世代にできた精一杯のことです。 道は間違っていない。じゃあどうなるのか? 私は今、国民に加盟している約200か国のどこの国の憲法にも日本国憲法9条と同じ条文はありません。 日本だけが星のようにあの9条を高く掲げて、こうして働き続けているのです。これが通るかどうか。必ず実現する。断言します。 それはこの会場の光景がもの語っています。 ごらんなさい。若いエネルギーが燃え上がっているではありませんか。いたるところに女性たちが立ち上がっているではありませんか。これこそ新しい歴史が大地から動き始めたことなんです。 とことん頑張り抜きましょう。 第三次世界大戦を許すならば、地球は動植物の大半を死なせるでしょう。そんなことを許すわけにはいきません。 戦争を殺さなければ、現代の人類は死ぬ資格はない。 その覚悟をもってとことん頑張りましょう。

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