その名も「#ハコダテアンチョビ」プロジェクト。 漁師や水産加工、シェフなど1〜3次産業で働く市民らがタッグを組み、近年大量に取れるようになったマイワシのアンチョビを開発した。 函館でイカが取れなくなった原因は、海水の温暖化。イカ頼みからの離脱は急務だ。逆にマイワシが取れるようになったが、地元の人々には馴染みがないため売れず、取れたその場で海に戻す漁師もいる。何とかできないか。 「フードロスにも関わっていたマイワシを産業創出の『エンジン』とし、再び活気ある水産都市にする」ーー。街の再活性化に情熱を注ぐ人たちを取材した。 【関連記事:「海が変わった……」9年で10分の1に減った函館の名物。水産業復活の「鍵」は“爆発的”にとれ始めた魚】

きっかけは、漁師からの手紙

2020年9月、函館の複合商業ビル「シエスタハコダテ」の意見箱に、こんな手紙が入っていた。 シエスタ統括責任者の岡本啓吾さん(37)は「絶対、この人に会わなければならない」と思った。 このビルは市街地活性化の役割も担っている。岡本さん自身も様々なイベントを仕掛けてにぎわいを創出しているが、函館の未来に危機感を感じていた。 「函館の魅力は漁師。このポテンシャルを活かすことができれば……」 しかし、投書は匿名だった。 岡本さんは2カ月、聞き込みを続けて投書の主を探した。ようやく、投書した漁師の熊木祥哲さん(42)に行き着いた。 「#ハコダテアンチョビ」プロジェクトは、この2人が出会ったことで動き始めた。

「函館経済はイカの十本足にすがっている」

「函館市史」によると、スルメイカの加工と取引は、敗戦で中絶した北洋漁業の喪失を埋める形で函館の産業経済をリードした。 「函館経済はイカの十本足にすがっている」と称されるほどで、イカ漁業と共にイカの街の基本構造をつくりあげた。 「半年仕事をすれば半年遊べる。全盛期はそれほど潤っていた」。地元漁師はそう振り返る。 街には「活いか」と書かれたのぼりが立てられ、土産店には塩辛などイカの加工品がずらりと並ぶ。 漁師、水産加工会社、飲食店、観光。函館はイカと共に栄えてきた。

「1万3020トン」から「490トン」に

市水産物地方卸売市場の「鮮スルメイカ」の取扱量は、近年でピークだった1993年度の1万3020トンから、2021年度は490トンに激減した。 取扱額も93年度の約28億円から、21年度には約3億6000万円に。イカ釣り漁船も減り、水産加工会社の倒産も出た。 イカが取れなくなった理由を、北海道渡島総合振興局水産課の榊原滋・漁政係長は「海水温が上昇したため」と指摘する。 「冷たい水を好むイカにとって生まれた時から過酷な環境になった。結果、生残率が下がったとみられる」

サラリーマンだった漁師

函館の実家は祖父の代から続く漁師だったが、「遊びたい、上京したい、という簡単な思いで地元を出てしまった」 東京の専門学校に進学。そのまま都内で就職したが、ハードな環境で体を壊し、29歳で函館に戻ってきた。 それからは父の漁を手伝い、船舶免許を取得。ウニやアワビ、定置網でヤリイカなどを取る漁師になった。 周囲は60〜70歳代がほとんどで高齢化が進んでいる。名物のイカも取れない。燃料も高くなった。 「自分の息子に漁師をやらせたい人なんているのだろうか」「水産都市として存続できるのか」 そして、当時小1の息子にこう言われた。「パパはお魚取ってるんでしょ?どこで売られてるの?」ーー。 衝撃だった。漁師には、農家のように産直市場がない。このままでは漁師という職業自体が埋もれていってしまう。

漁師の顔が見えるマルシェを開催

岡本さんはこれを受け止め、2021年2月にシエスタで魚の産直イベント「函館フィッシャーマンズマルシェ」を開いた。熊木さんをはじめ漁師らがその朝水揚げした魚を、自ら売る。 普段は市場に持ち込む漁師らにとって、魚に自ら値段を付けるのは初めての経験だった。 コロナ禍のなか、残雪と寒風の時期だったが、用意した200枚の整理券は20分でなくなった。 「漁師さん頑張ってね」「完売できてよかったね」 漁師の「顔」が見えるイベントは、成功した。 「次もやろう」。そんな話をしていたとき、「ハコダテアンチョビ」につながる話が岡本さんや熊木さんらの間で持ち上がった。 それが、イカに代わって大量に取れるようになったマイワシだ。

イワシが網にかかると愕然とする

「北海道水産現勢」によると、2020年の数量(漁獲時の生体重量、道全体)は約23万6000トン。771トンだった2000年と比べると、ケタ違いに増えた。 ただ、熊木さんら漁師にとっては「やっかいな魚」でもあった。 本州以南の多くの地域で、マイワシは古くから安くておいしい大衆魚の代表格だ。梅雨の時期にあがる脂ののった「入梅いわし」などは、一種のブランドとなっている。 しかし、北海道ではマイワシを食べる文化がなく、「小さくて骨が多いから調理が大変」などと敬遠される。 価格も1キロあたり数十円と安く、買われても動物のエサなどに使われる。漁師はマイワシが網にかかっても、値段がつかないので海にリリースすることが多い。 「仕掛けた網の上にカモメが集まっていると、『うわあ、またイワシだ。ヤリイカこいよ……』と愕然とする」 「イワシが1トン入っていたこともあるし、網を引き揚げるのも一苦労。それが売れないとなると、かなりしんどい」 熊木さんは余ったマイワシを「こども食堂」に配ったり、地元の卸問屋「福田海産」の福田久美子社長とフライやツミレにして売っていた。 しかし、人の手で大量に調理・加工するのには限界があった。

「アンチョビがいけるかも……」シェフも加わった

熊木さんからこんな悩みを聞いた岡本さんは、持続可能な解決策があるのか考え始めた。 どうすれば漁師の網に入った大量のマイワシを消費できるのか。 どうすれば水産加工の従業員が疲弊せずに調理・加工できるのか。 マイワシを新たな地域資源にできないか。 「アンチョビがいけるんじゃないか」 もしうまくいけば、アンチョビはイカに代わる函館の産業になるかもしれない。同時に、フードロスの解決にもつながる。 斉藤シェフは地域の食材を活用し、環境や社会に配慮する「エシカルシェフ」。アンチョビに情熱を傾け、レシピを共につくってくれる人はこの人しかいないと思った。 すると、偶然にも斉藤シェフはマイワシをアンチョビにすることを考えていたという。「マイワシでアンチョビをつくる料理教室をしようと思っていたんだよね」 2人は意気投合。 斉藤シェフから「函館ならではのアンチョビを作るには、イカの塩辛を木樽仕込みで作る発酵・熟成の知見がおもしろい」というアドバイスを受け、地元の「小田島水産食品」に出向いた。 1914年創業。ここは木樽にこだわってイカの塩辛を作り続けている老舗だ。

漁師の投書が函館の未来を考えていた仲間をつなげた

「函館の海でこれだけ問題になっているマイワシを使い、発酵・熟成された『メイドイン北海道』のアンチョビができたら、イカに代わる産業としても大きな価値が生まれる」 小田島水産食品も不漁でイカの値段が高騰して困っていた。小田島隆社長は4人と一緒に知恵を絞り、アンチョビの開発に協力することに決めた。 そして「#ハコダテアンチョビ」プロジェクトが始動した。 岡本さんが熊木さんを探し出して約1年。漁師の手紙がきっかけで、函館の未来を考えていた仲間をつないだ。

マイワシを使ったアンチョビは珍しい

まず、使用する魚が函館で取れるマイワシということだ。 既製品や海外のアンチョビは、小ぶりなカタクチイワシを原料とするのが一般的。高級品とされるのは、「身が大きくて脂がのっている」ものだ。 その点、マイワシはそもそもカタクチイワシよりも大きく、脂がのっているため、高級品に限りなく近い。 実際に「ハコダテアンチョビ」を食べると、臭みが全くなく、旨味とコクが口一杯に広がる。 クセがなく、ご飯や豆腐にのせて食べることができる。お酒にも合う。 岡本さんは「普通のアンチョビは『イワシの塩漬け』のように思えるが、こちらはマイワシと米油を使い、発酵・熟成もしている。世界に通用する北海道のおいしいアンチョビができ上がった」と自信をのぞかせる。 なお、おすすめは「温めたじゃがいもの上にバターをのせ、その上にアンチョビをのっける」食べ方という。

アンチョビが産業になる

設備投資は水産加工会社にとって一つのハードルだが、熟成・発酵させる場所さえあれば作ることができる。 また、熟成・発酵後のマイワシの瓶詰めする作業は現在、市内にある就労支援施設の利用者が行っている。 イワシの皮や骨をとる繊細な作業だが、非常に丁寧な作業と評判だ。この新しい仕事にやりがいを持って取り組んでいるという。

本格販売中

1瓶のアンチョビ内蔵量は60グラム(総量90グラム)で、価格は税込1080円。 「漁師がマイワシを取り、キロ数百円という価格で市場が買い、アンチョビ作りが行われる。飲食店がアンチョビのメニューを出し、何十年後には郷土料理として根付いている。ゆくゆくは世界へ……」 岡本さんはこんなビジョンの実現を目指している。

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